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浦和地方裁判所 昭和39年(ワ)124号 判決

原告 大野茂

同 大野千

右両名訴訟代理人弁護士 新井藤作

被告 福島忠作

主文

被告は原告茂に対し金六三万三〇五四円原告千に対し金五万円及びこれに対する昭和三九年四月一〇日以降完済まで、それぞれ年五分の割合による金員を支払うべし。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

本判決は原告ら勝訴部分に限りそれぞれ仮に執行することができる。

事実

原告らは「被告は原告茂に対し金七四万八〇〇〇円、原告千に対し金二五万円及びこれに対する昭和三九年四月一〇日以降各完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決竝びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり陳述した。

原告茂と被告とは昭和三七年一月一日原告茂の父外三名とともに大宮市大字深作所在春岡小学校裏の山林にて狩猟中、同日午前一〇時半頃、被告が同所において原告茂から三〇メートル位離れた地点で、原告茂より四メートル位のところの木にとまつていた小綬鶏に向けて猟銃を発砲したところ、その散弾が原告茂の右眼球に命中し右眼球穿孔外傷を負わしめた。

ところで、およそ猟銃を使用し、狩猟する場合は附近に人の存在の有無を注意し、これに命中しないように注意し、命中のおそれあるときは発砲を中止する等の注意義務あるところ、被告はこの注意義務を怠り約四メートル位離れたところに原告茂がいたに拘らず、前記のように発射し原告茂に傷害を負わしめるに至つたのであるから右の事故は被告の過失に帰因するものである。

しかし、原告茂は、右の事故により直ちに林眼科医院で治療を受け、同月四日より同月三一日まで大宮赤十字病院にて入院治療し、さらに小川眼科病院にて通院加療を続け現在に至つているが、前記散弾を摘出できず失明状態にある。そして原告茂は右の各治療のために林眼科医院に金三〇〇〇円、大宮赤十字病院に金二万五〇〇〇円、小川眼科病院に金四万円の支出を余儀なくされたほか、原告茂は右事故により受傷後四ヶ月間その業としていた鳶職に従事できず、従来一ヶ月最低金七万円の収入を得ていたのにこの間の収入を全く得ることができず合計金二八万円の得べかりし利益を喪失した。さらに原告茂は以上の傷害を蒙り現に失明状態であるところ鳶職としての無理な労働もできなくなり、その後長谷川工務店に勤務したものの一ヶ月の収入は約二万七〇〇〇円位になつてしまつた。原告千もまた原告茂の妻であるところ、以上のとおり夫たる原告茂が失明状態となり容貌も醜くなり、その収入激減により附近の小学校に給食婦として働くことを余儀なくされるに至り、生活上の苦しみをも負うこととなつた。以上のように原告らは肉体上精神上の苦痛を蒙つたところ、被告は原告らに見舞金すら支出せず全く誠意を欠いており、これらの苦痛は原告茂において金四〇万円、原告千において金二五万円の支払を得て慰藉されるものとするのが相当である。

しかして、これらの損害は被告の過失によつて生じた事故に基くものであるから、被告において賠償すべきである。よつて被告に対し、原告茂は合計金七四万八〇〇〇円、原告千は金二五万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日以降右各完済までそれぞれ年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として原告主張のような事故の発生したことは認めるも、被告は約七メートルの距離から散弾を発射したものであり、原告茂に弾丸は直接命中したのではなく一旦附近の樹木に当つたものが跳ね返つて命中したのであり、原告茂が大宮赤十字病院に入院したことは認めるもその余の事実は不知と述べた。

立証≪省略≫

理由

昭和三七年一月一日被告の発射した散弾が原告茂の右眼に命中するという事故の発生したことは当事者間に争いのない事実であり、この事実と証人大野愛太郎の証言、原告茂本人尋問の結果竝びに弁論の全趣旨を綜合すると、右の事故は次のような経過で発生したことが明らかである。即ち、

昭和三七年一月一日被告と原告茂ら四、五人のものは大宮市深作所在の春岡小学校附近に小綬鶏などの狩猟にでかけた。そして右小学校裏の雑木林で狩猟中、被告は原告茂の右斜後方約一〇メートル位のところで、自己の前方からとび出した小綬鶏に対し、五号(小綬鶏狩猟用としては大きい弾丸)の散弾を発射したところ、弾丸が原告茂の前方の約一〇米位のところの樹木に当つて跳ね返り原告茂の右眼に命中した。

ところでおよそ猟銃を使用して狩猟する場合は、附近に人の存在の有無をたしかめこれに命中することのないよう注意し、直接命中するおそれはなくとも、樹木等に当つて跳ね返る弾丸が人に命中することもまたないよう注意すべき義務があるものというべきところ、右認定の事実によれば、被告は雑木林の中で原告が左斜前方約一〇メートル位のところにいるにも拘らず右の注意義務を怠り強く跳ね返りやすい大き目の散弾を敢えて発射したのであるから、右の事故の発生は被告の過失に基くものとしなければならない。

よつて右事故発生により原告らの蒙つた損害について次に検討する。

≪証拠省略≫によれば原告茂はその右眼に散弾が命中したために右眼球穿孔外傷を受け、これを治療するため林眼科医院において直ちに応急手当を受け同月四日まで通院した後同日から大宮日赤病院に入院し同月三一日まで加療し、その後昭和三八年二月まで小川眼科病院その他で通院治療を受けたが、未だ、弾丸を摘出するに至らずその間医療費として日赤病院に入院費等金一万七一七四円小川眼科病院に薬代金七九八〇円、治療費金四九〇〇円(一日金一〇〇円四九日分)林眼科医院に金三〇〇〇円を支払い同額の損害を蒙つたことを認めることができる。しかし、これを超える医療費の支払を認めるに足る証拠はない。

また、前記証言ならびに原告両名各本人尋問の結果によれば、原告茂は前記事故当時鳶職として常傭で一日一五〇〇円請負で一日二五〇〇円ないし三〇〇〇円月平均五万円を下らない収入を得ていたところ、前記傷害により昭和三七年四月末まで四ヶ月間は全く収入を得ることができず、結局合計金二〇万円の得べかりし収入を喪失したことが認められるので原告茂はこれにより同額の損害を蒙つたものといわねばならない。しかしながら、右認定の限度を超える収入のあつたことを認めるに足る資料はない。

次に、≪証拠省略≫に弁論の全趣旨を綜合すれば、原告茂は右傷害により右眼は失明し、その結果左眼の視力にも影響し、その家業である鳶職をもつては充分の働きもできず、その後勤めることのできた長谷川工務店からは従来の収入を遙かに下廻る月額金二万七〇〇〇円程度の収入を挙げ得るにとどまり、原告茂の妻である原告千も家計を維持するために昭和三八年一一月頃から長男金治を保育所に預けて近所の原市小学校の給食婦となつて働かなければならないようになつたにも拘らず、被告はこれを慰藉する措置をとつてはいなかつたことが認められ、以上の事実と原告ら夫婦の家族構成年令竝びに傷害の部位爾後の状況、その他本件事故発生時の状況等を斟酌すれば、原告茂の蒙つた肉体上精神上の苦痛、原告千の蒙つた精神上の苦痛は被告より原告茂に対し金四〇万円、原告千に対し金五万円の支払を受けるをもつて慰藉されるものとするのが相当である。

しかして、以上の損害は被告の不注意により発生した事故に基き生じたものというべきであるから、被告は原告茂に対し以上の合計金六三万三〇五四円、原告千に対し金五万円およびこれらに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明白な昭和三九年四月一〇日以降右各完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において原告らの本訴請求は認容すべきであるが、その余の請求は理由なきをもつて棄却し、訴訟費用の負担竝びに仮執行の宣言につき民事訴訟法第九二条但書、第一九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引末男)

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